仏教を知れば、圧倒的に人生が変わる!

仏教の教えは自分を変えてく、人生を良くしていくエッセンスがたっぷり詰まってます。いち事務員且つ、某宗教団体会員の私が、日常の中で使える仏教の教え、世界をあくまで私の解釈で語ります。活動記録もありますので是非是非ご覧あれ。

嫌なことでも過ぎてしまえば過ぎたこと

どーも

 

東京は台風直撃で私も今家でおとなしく過ごしています。

今日は仕事の中で感じた<その時嫌だったり腹が立ったことも過ぎたことは過ぎたことになる>お話をしたいと思います。

 

今日は土曜日ですが私が勤めているのは病院ということで、普通に診察を行なっているため、普通に出勤でした。

 

台風の影響で出勤できない人、急遽休みを取った人はいましたが、職場まで徒歩10分の私は漏れなく出勤組でした。

 

朝家を出る時の私は、『まあ徒歩10分だし余裕じゃろ』と思っていた私は家を出た瞬間驚愕しました。

 

<雨と風すげー…>

 

10分という近距離にも関わらず朝家を出た時の横殴りの雨、風は私の心を折るには十分すぎる威力でした。

 

そんな中鳴った私の電話。

 

私の家の近くに住む先輩から<まだ家?家なら車で送って行くよー>とのこと。

 

私は大歓喜しました。

まじで歩いて行くのに心が折れていた私にとって救いの渡し舟でした。

 

そんなこんなで無事出勤できた私。

今日は土曜日にも関わらず、台風の影響で予約に来れない患者さんも多く、比較的落ち着いた日でした。

 

そんな状況でも外の雨と風はどんどん強くなっていきます。

 

お昼を迎える少し前、課長から患者さんの診療が終われば早めに帰宅して良いよーと何ともありがたいお話が来ました。

 

ただでさえ患者さんが少ない今日だったら、早く終わるだろう。今日は早く帰れそうじゃけえ、帰ってのんびりしようと思っていました。

 

その時は…

 

土曜日の定時は14時10分なのですが、終わりが見えた13時頃。最後の予約患者さんが来院しました。正直その患者さんが来なければ13時半には帰れそうだった為、まじで来るなと思っていました。

その時の私はとにかく早く帰りたい一心だった為、医事システムでその患者さんが受付となった瞬間、落胆と共に、多少の怒りがこみ上げて来た程でした。

<まじかー、こんな台風なのに来るんじゃねーよー>と思ってしまいました。

 

しかもその人は診察前に検査が入っており、その人がその時間に来院した時点で14時過ぎるのは確定でした。

 

その時受付にいたのは私入れて3人だったのですが、患者さんは残りその人1人だった為、正直3人は要らない状況だった為、私は言いました。

 

<あと私残るので、○○さんと○○さんは帰って大丈夫ですよ>と。

 

帰って良いよと言った一人は車で帰る人の為、その人と一緒に帰れれば、車で家まで送ってもらえていました。

私はその人に車で送ってもらいたいという気持ちを抑えつつ、何とかその言葉を絞りだし、先に帰ってもらいました。

 

早く帰れること、台風の中車で送ってもらえることを犠牲にした私はモヤモヤした気持ちを抱えつつ、一人の人の検査と診察が終わるのをひたすら待ちます。

その時間が私にはとても長く感じました。

 

そして最終的に全て終わったのは14時30分でした。たまたま残っていた看護師と受付で早く帰りたいっすよねーと談笑していた時に診察終わった患者さんが受付に来ました。

そこにいた看護師とその患者さんと話します。

看<外すごいけど帰れそうですか?>患<来る時も大変でした。でも何とか帰ります>私<大変ですよね。気をつけて帰ってくださいね>私<遅くまでありがとうございました。気をつけて帰ります>

 

本当にたわいもない会話でしたが私はこの瞬間思いました。<あー、残っていてよかったー>と。

 

この瞬間私はモヤモヤイライラという気持ちは全く無くなっていました。

 

そして今思うのは<誰かの為にしていることは、その時モヤモヤしたとしても良い>ということです。

 

前回も話しましたが、この世は無常であり、全ては変化しています。ましてや人の心は一番変化して行くものであり、少し前まで穏やかな心でもちょっとしたことでイライラしたり、逆も然りでモヤモヤしていても必ずそのモヤモヤには終わりが来ます。

しかし人の為に行った行<布施>した功徳は必ず自分の徳として残ります。

 

そう考えれば、人の為に尽くした時、時にはモヤモヤしたり、損した気持ちになることがあります。

しかしそのような感情は一瞬で、布施した功徳は着実に自分の徳として積まれていくのです。

 

今日の私の一件も、誰かが残らないといけない状況で自分が残ることで、他の人が早く帰れたし、その人たちから感謝されることで、自分自身のありがたい気持ちもそうですし、今後の仕事する上での関係にも良好な関係を築く上でプラスになったと思います。

 

誰かの為に自分が行動する時は時には損した気持ちを感じることや、モヤモヤする時があるかもしれません。しかしその気持ちは一瞬で、是非皆さんにはそのことに捉われず、幸せに生きる為に一番大事な布施の実践をしてもらいたいと思います。

 

 

将来の話(離島暮らしへの憧れ)

 

皆さん突然ですが、離島暮らしに憧れたことってありますか?

 

特に東京とか都会に住んでる人は一度は考えたことあるんじゃないかなと思うんですがいかがでしょう。

 

私はあります。ていうか私の母方の実家は瀬戸内海に浮かぶ人口100人ほどの島にあります。

名前は柱島というんですが、この島がまた良いところで、夏には海水浴で訪れる人や、一年を通して釣りに訪れる人がぼちぼちいます。

 

母が三姉妹ということもあり、かつてはお盆や年末年始はいとこたちが集まり、親戚通しでワイワイ楽しんだものです。

 

私にとっては思い出の場所の柱島ですが、現在は過疎化が進み、おそらく人口も100人きってるのではないかと思います。

 

そんな柱島を、再度活気のある島にしたい!島おこししたい!と、特に具体的なプランもなく、数年前に友達巻き込んで盛り上がったことがありました。

当時はお金もない、アイデアもない、ツテもない中でどうやってやるんじゃい!って時がありました。

 

その時は一度諦めましたが、昨日アップしたブログに書いたように、今プログラミングを学び始めて思うことがあります。

それは実力さえつけば、パソコン一つあればいくらでも生活できるぐらいの収入は見込めるということです。しかも場所は問わず。

 

私は将来的には柱島に住みたいと思っていたし、この柱島の良さを何らかの形で発信したいと思っていました。しかし実際に柱島に住もうと思っても雇用があるわけじゃないし、相当リスクがあると思っていました。

しかしプログラミングの技術があれば、どこにいても仕事は受注できるし、納品ができる。

そういう意味ではこの仕事が軌道に乗れば、極端な話柱島に移住してそこで仕事しながら、現地に留まり島おこしをしていく。

そういう意味では可能だと思いました。

 

 

まずは転職して会社に入って技術を学び、ゆくゆくは柱島か、せめて地元の山口県とかに戻って働きたいなーと思ってます。

 

今日で遅めの夏休みが終わります。

午後はプログラミングの勉強頑張ります。

 

医療事務から、未経験でプロのエンジニアを目指すお話

お久しぶりの投稿です。

 

多くの人に仏教の教えに触れてもらいたいという思いでこのブログを始めましたが、なかなか続かず申し訳ありませんでした。

 

今日は久しぶりの投稿ですが、今思う私の将来の展望についてお話をさせてもらいます。今後のブログの方向性にも深く関わる内容となっています。

 

まず改めまして私の現状からお話させてもらいます。

私は今年の8月で誕生日を迎え、30歳となりました。現在は都内の某病院で医療事務として働いています。

大学を卒業後、新卒で今の病院に就職し最初は財務課というところで経理と物品の購入関係を主に担当してきました。

そして今年の1月に入職後初めての異動を経験し、現在は医事課といって病院の外来の受付業務を行っています。

 

この1月の異動が、私にとって将来を考える大きな転機となりました。

 

現在私は内科・循環器内科・脳神経外科メンタルヘルス科の外来の受付窓口を担当しています。基本的には4年程前に新築移転を行なった割と新らしい病院で、新らしいシステムや機会を導入していることもあり、基本的にはルーティーン業務なんです。

毎日次々とくる患者さんを受け付けし、必要があれば症状を聴いてしかるべき科や先生に振り分けをする。

そのような仕事を作業のように続けるうちにこの仕事は自分じゃなくても出来るよなーと思うようになりました。

またもう一つ大きかったのは、勉強がたくさん必要にも関わらず、勉強した分の成果みたいなものが少ないということです。

医療事務の仕事にはレセプト業務というものがあり、診療報酬とういう医師の治療に対して点数でいくらかを計算し、トータルの治療費を出すというざっくり説明するとこんな感じの業務があります。これは本当に沢山の勉強が必要で、事実先輩方もたくさん勉強してきました。

確かに勉強すればするほど病院にとっては貴重な人材になれるし、業務のやれる範囲が広がります。

しかしどれだけ知識と経験を積んでも、そもそも営業のように成果が目に見える形で評価される訳ではないし、うちの病院は経営も芳しくないので、給料が上がる訳でもありません。

 

そのような状況の中で、自分は一生この仕事をやり続けるのか。一回きりの人生、本当にこれで良いのだろうかと日々思うようになりました。

 

仏教の教えの中に、三法印という教えがあります。三つの教えの印です。

三つの教えとは何か?それは

諸行無常

諸法無我

涅槃寂静

です。

ざっくり説明すると、<諸行無常>は<全ては変化する>という意味で、言うなれば全てのものは常に向上しているという意味です。

諸法無我>は<全て関係し合っている>という意味で、言うなれば全てのものは調和しているという意味です。

涅槃寂静>は<最初の変化と関係という法則にのり、実践すれば必ず幸せの境地になれる>という意味です。

 

つまり人は、向上したい、皆と仲良くありたいという思いが心の奥底に皆持っているということです。

 

自分の向上したいという魂の疼きが常に今のままの自分で良いのか?と問いかけてきました。

 

とは言え自分が本当にやりたいことがあるわけでなく、また三流大学、しかも保育を学んできた私は頭がいい訳でも、要領良いわけでもありません。

しかも歳も30才です。

こんな自分を欲しい企業なんてないだろうな。そもそも自分がやりたいと思う仕事じゃないと同じことの繰り返しになるだろうなと思ってました。

このような状況の中で、結局現状変える訳でもなく、日々楽しくない仕事に勤しむ日々でした。

こんな自分を決して高くはないけど安定した収入を頂け、雇ってもらっているだけもありがたいことなんだと自分に言い聞かせてきました。

 

そんな私は、ある一人の人のYouTubeの動画に出会います。

それは私と同い年で未経験からプロのエンジニアになれるという某プログラミングスクールなどを経営する社長のチャンネル動画でした。

 

そのチャンネル動画では社会人として明日から使えるスキルや、仕事への取り組み方、マインドについてなどを紹介している動画でした。

 

もちろん内容も素晴らしいのですが、動画の中で熱く語るその人の姿に、ここまで仕事について熱く語れるものなのか。動画を通して一人でも多くの人に人生を変えるきっかけを与えたいと語る姿に、仕事への情熱や、社会の為、人の為に綺麗事ではなく実際に形に表しているこの人を見て、自分も一歩踏み出そうというえも言えぬ熱いものが込み上げてきました。

 

そしてその動画を沢山見ていく中で、興味を持ったのがプログラミングについてです。プログラミングを学び、エンジニアになりたいと。

 

皆さんもご存知の通り、現在仕事でもプライベートでもどんどんシステム化され、今まで人が行っていた作業などもどんどん便利な世の中になってきました。また、SNSやメルカリ、ZOZOTOWNなど日々の生活の中にもどんどん入ってきています。

これらは全てエンジニアがプログラミンにて作成したシステムやサイト等になります。

 

これからもどんどん需要は伸びていくでしょう。

 

そんな中業界では深刻なエンジニア不足なのだそうです。需要に供給が追いついていない。

ということは社会から強く求められているのだと感じました。

パソコン一つで現在、そしてこれからもっと社会で必要とされているサービスを自分の手で作り出していくことが出来る。

こんなにもクリエイティブ且つ楽しそうな仕事はあるのだろうか?と感じました。

 

ただ調べれば調べるほど、やはり現実も見えてきます。何故エンジニアが不足しているのか?

それは難しそうという理由や、様々な理由でそもそも目指す人がまだまだ少ないというのと、プログラミングの勉強自体が挫折率が高いということです。

 

そんな中私はこれからプログラミングを勉強してエンジニアになりたいと思っています。

必ず行き詰まる時や、諦めたくなる時もあるかもしれません。

 

しかし挑戦せずに今の現状に甘んじたくないと思い、決意しました。

 

そしてこのブログでは、引き続き仏教の教えに触れてもらうだけでなく、今後の私自身の未経験からプロのエンジニアになる目標への報告にも活用させてもらおうと思っています。

 

将来このブログを見返した時、こんな時もあったなと笑って見返せる時がくると信じて、これから頑張って行きたいと思っています。

 

よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

なぜ私たちには宗教が必要なのか?

どーも、しがない医療事務員をしています。まごにーです。

 

2回目の投稿ということで、今回は宗教が何で必要なのかってことについて書いていきたいなーと思います。

 

 

というか、宗教が必要前提で話しちゃってますが、皆さん人生の中で宗教って必要だと思いますか?

 

正直宗教を信仰していなくても幸せな人はたくさんいますよね。

 

きっとこのブログを見て下さる人も、別に必要ないって人がほとんどだと思います。

 

 

うん、それが普通の考えだと思います。

 

 

オレは宗教なんか信仰しなくても幸せだ!って人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その幸せな状態がずっと続く保障はどこにあるの?

 

 

って思います。

 

 

仏教では一切皆苦(いっさいかいく)という言葉がありますが、この世で生きているうちは、必ず苦しいことがありますよーって教えてもらってます。

 

 

 

今幸せだと、その状態があたかも当たり前だと思いがちですが、その状態が当たり前ではなくて、必ず苦しいことにもぶち当たります。

 

 

そのことをまず理解していただければと思います。

 

 

 

また、私たちが幸せな生活を営めるよう、国は法律を定め、倫理・道徳を生きてく中で学んできました。

 

これらすべては私たちの生活に大きな影響を及ぼしており、これらがないと私たちの生活はめちゃくちゃになってしまします。

 

 

ではそれでけで私たちは本当に幸せになれるのでしょうか?

 

いじめはダメだとわかっていても人を蔑む心、憎む心は内から湧き起こってくるもので、なかなかなくなりません。

 

 

社会人だったら嫌な上司との関係や、自分自身が他人と比べて苦しくなったりなど、日々生活してる中にも苦しみが溢れています。

 

 

これらには理由があって、人の意識には大きく分けて顕在意識潜在意識と二つの意識があるからです。

 

顕在意識は頭でわかっていること。理性でコントロールできる意識のことです。

 

例えば先にも述べました、法律や倫理、道徳についてですね。

法律は守らなければならない。正しい行いをしなければならない等、頭でコントロール出来る意識です。

 

一方潜在意識というのは内から湧き起こってくる意識のことで、これは大変コントロールが難しい意識になります。

 

例えば横断歩道で赤信号だとします。

赤信号だから渡ってはいけない。というのが顕在意識。

でも車きてないし渡っちゃえーというのが潜在意識。

 

彼女が居て、彼女と良いお付き合いをしていく為には相手を信じて尊重し合う関係でいようと思うのが顕在意識。

でもちょっとしたことでヤキモチを妬いたり、イライラする心が湧き起こってくるのが潜在意識。

 

 

仕事でライバルがいて、そいつと自分は違うし、自分は自分の仕事を一生懸命やれば良いんだ!と思うのが顕在意識。

でも相手と自分を比べる気持ちが湧いてきて卑屈になり苦しむのが潜在意識。

 

 

このようにうちから湧いてくる意識。簡単に言うと「わかっちゃいるけどやめられない」意識を潜在意識と言います。

 

先ほど述べました、法律・倫理・道徳では、この潜在意識をどうこうするには限界があります。

 

しかし私たちはこの潜在意識によって、自分の意図しないところで一喜一憂し、幸せを感じたり苦しんだりします。

 

 

ですのでこの潜在意識を見つめ、コントロールすることが幸せになる近道なのです。

 

そしてその潜在意識をきれいにしていくのが宗教になります。

 

 

私が以前読んだ本で、会社で結果を残したかったらまずは上司を勝たせるのが大事だとありました。

 

最近は上司を乗り越えても結果を残すことが大事だ!

とか自分の考えをしっかり持って、上司の言いなりになるなとか聞いたりしますが、その本ではまず上司をたてなさい。

そして上司を勝たせるぐらいに上司に尽くすことが、結果的に自分の成長にも繋がり、また出世という意味では近道だという内容だったと思います。

 

 

まあその考え自体は賛否両論あると思いますし、ひとそれぞれです。

 

ただ、自分はその本を見てすごく納得した部分がたくさんあり、「よし!上司を勝たすぐらいの仕事をやるぞ!」と意気込んだ覚えがあります。

 

しかしいざ次の日いざ仕事をすると、上司を勝たせるどころか、むしろイライラしてばかりの自分が居ました。

 

実はその時期自分の直属の上司に不満だらけの時で、ちょっと本を見てわかった気でいた自分でしたが、実際は全然うまくいきませんでした。

 

いくら顕在意識でやろうと思っても、そこに潜在意識が不平不満だらけでは、なかなか良い結果は生まれませんでした。

 

 

結局仏教の教えを学ぶなかでその先輩との関係も変わっていくのですが、それはまた追々書いていければと思います。

 

 

このように、別に宗教を信仰していなくても、幸せな生活は出来るし、人生を歩んでいくことはできます。

でも宗教を信仰することで、より幸せな人生を歩むヒントをたくさん頂けます。

 

 

例えば皆さん、自分の大好きな食べ物や、趣味を思い出してみて下さい。

これらはなくても人生は歩んでいけますが、これらのものと出会ったことで人生がより濃く、色が増したと思います。

 

 

そんなイメージでこの宗教。特に仏教の教えに触れてもらえれば幸いです。

 

 

 

 

仏教の教えと出会って人生が変わった話

ブログ始めました。

ブログを始めた理由!それはズバリ「世間一般の宗教に対するイメージを変えたい!」です。

ハイ、大きく出ました。いや目標は大きく持ちたい。

この目標を掲げたのには理由があります。


皆さんの宗教に対するイメージはどのようなものがありますか?

見方は様々だと思いますが、良いイメージというよりは、無関心、もしくはあまり良いイメージではないという人が多いのではないでしょうか?

私もかつてはそうでした。
 
ただ、今はそれで人生終わらずに良かったと思っています。
 
生きている間に、また若いうちに仏教の教えの良さに気付き、学べていることがありがたいと思っています。
 
そして今では、たくさんの人に仏教の教えに触れてもらいたいと思い、このブログを立ち上げました。
 
ここまで書いて思いました。
 
 
 
 
 
 
うん、オレすごいうさんくさい(笑)
 
 
 
 
自分で書いていて思います(笑)
 
 
 
うまく伝えるって難しい!
 
 
 
 
とりあえず最初ということで、かつて自分が宗教に対する偏見があった時から、どのように今の心境になれたかを簡単にお伝えして、自己紹介になったらなーと思います。
 
 


私は祖父母が佼○会に入会し、親も活動をしていた為、生まれながらに会員でした。

幼い頃は親に連れられ、わけもわからず活動に参加していましたが、中学生頃から宗教をやっている自分、そして家族に嫌悪感を持つようになり、活動からは離れていきました。


そんな私の転機は大学生の時、佼○会の会員が入れる大学生寮に入り、大学生活を送ったことです。

最初は嫌々でも寮費が安いということと、東京の大学に通いたいということで入った寮でした。

しかしそこでの生活で様々な出会いを通して、宗教やっている人って全然普通の人と変わらないし、むしろ人として出来てるなって思えたことから、私自身の勝手に思っていた宗教の偏見がなくなりました。

そして初めて仏教の教えを学び、「あれ?これを普段の生活で実践出来たら、人としてすげー人になれんじゃね?」

と思ったのが一番のきっかけで、今となっては大学卒業後も普通に仕事をしながら、佼○会の活動を続けてます。


要するに私は、よく知らんけど宗教ってイメージ悪いし恐いって思っていました。

このよく知らんってのがもったいないなーって思うんです。

本当はめちゃくちゃおいしいのに見た目が悪いから食べませんってもったいなくないですか?
 
勇気を出して一度食べてしまえば、そのおいしさに気づけるはずです。

実際自分は偏見なしに仏教ってのを知って学んだ時に、素直にすごいと思ったし、こういうものの見方や行動ができれば幸せになれるなーと思えました。
 

だからもっともっと多くの人に、この仏教の教えを知ってもらいたいと思います。

ではどのようにして仏教の教えをたくさんの人に知ってもらうか?
 

やり方は色々あるけど、いきなり知らん人の家行って、佼○会のものですけど、仏教の話聞きません?って言っても恐いじゃないですか?

だったらこういうブログを通して、多くの方に触れてもらいたいと思ったのが、このブログを開設した理由です。


最初に言っときますが、これはけっして勧誘が目的ではなく、あくまで仏教の教えを広く知ってもらいたいという願いがありますので、お間違えのないよう。
 

仏教を知れば圧倒的に人生が変わります!
 
 
ということで、何故仏教を知れば圧倒的に人生が変わるのか。
 
これからアップしていく記事を見て頂ければと思いますが、1回目の今回も少しお話させてもらいます。
 
まず私たち立〇佼〇会は在家仏教教団です。
 
在家とは何か?
 
皆さん出家はよく聞きますよね。
お寺で坊主で修業されている方々は出家した仏教徒の方々です。出家され、俗世とは一線置き、仏教の研鑚や教えを説いています。
 
 
対して在家というのは、その仏教の教えを、学びながら、この一般社会の中で実践していく仏教徒のことをいいます。
 
ですから私も日頃、仏教の教えのエッセンスを学び、実践していく中で感じるのですが、驚くほど日常生活に生きる教えで溢れてます。

これからそれらの教えをどんどんアップしていきたいと思いますので、皆さんよろしくお願いします(^^)

あ、あとたまに佼○会の活動でこういうことしましたとかもアップします。

普段どういう活動をやってるかとか、得体が知れないと思いますので、そこら辺も知ってもらえればなーと思ってます!
 
よろしくお願いします。