嫌なことでも過ぎてしまえば過ぎたこと
どーも
東京は台風直撃で私も今家でおとなしく過ごしています。
今日は仕事の中で感じた<その時嫌だったり腹が立ったことも過ぎたことは過ぎたことになる>お話をしたいと思います。
今日は土曜日ですが私が勤めているのは病院ということで、普通に診察を行なっているため、普通に出勤でした。
台風の影響で出勤できない人、急遽休みを取った人はいましたが、職場まで徒歩10分の私は漏れなく出勤組でした。
朝家を出る時の私は、『まあ徒歩10分だし余裕じゃろ』と思っていた私は家を出た瞬間驚愕しました。
<雨と風すげー…>
10分という近距離にも関わらず朝家を出た時の横殴りの雨、風は私の心を折るには十分すぎる威力でした。
そんな中鳴った私の電話。
私の家の近くに住む先輩から<まだ家?家なら車で送って行くよー>とのこと。
私は大歓喜しました。
まじで歩いて行くのに心が折れていた私にとって救いの渡し舟でした。
そんなこんなで無事出勤できた私。
今日は土曜日にも関わらず、台風の影響で予約に来れない患者さんも多く、比較的落ち着いた日でした。
そんな状況でも外の雨と風はどんどん強くなっていきます。
お昼を迎える少し前、課長から患者さんの診療が終われば早めに帰宅して良いよーと何ともありがたいお話が来ました。
ただでさえ患者さんが少ない今日だったら、早く終わるだろう。今日は早く帰れそうじゃけえ、帰ってのんびりしようと思っていました。
その時は…
土曜日の定時は14時10分なのですが、終わりが見えた13時頃。最後の予約患者さんが来院しました。正直その患者さんが来なければ13時半には帰れそうだった為、まじで来るなと思っていました。
その時の私はとにかく早く帰りたい一心だった為、医事システムでその患者さんが受付となった瞬間、落胆と共に、多少の怒りがこみ上げて来た程でした。
<まじかー、こんな台風なのに来るんじゃねーよー>と思ってしまいました。
しかもその人は診察前に検査が入っており、その人がその時間に来院した時点で14時過ぎるのは確定でした。
その時受付にいたのは私入れて3人だったのですが、患者さんは残りその人1人だった為、正直3人は要らない状況だった為、私は言いました。
<あと私残るので、○○さんと○○さんは帰って大丈夫ですよ>と。
帰って良いよと言った一人は車で帰る人の為、その人と一緒に帰れれば、車で家まで送ってもらえていました。
私はその人に車で送ってもらいたいという気持ちを抑えつつ、何とかその言葉を絞りだし、先に帰ってもらいました。
早く帰れること、台風の中車で送ってもらえることを犠牲にした私はモヤモヤした気持ちを抱えつつ、一人の人の検査と診察が終わるのをひたすら待ちます。
その時間が私にはとても長く感じました。
そして最終的に全て終わったのは14時30分でした。たまたま残っていた看護師と受付で早く帰りたいっすよねーと談笑していた時に診察終わった患者さんが受付に来ました。
そこにいた看護師とその患者さんと話します。
看<外すごいけど帰れそうですか?>患<来る時も大変でした。でも何とか帰ります>私<大変ですよね。気をつけて帰ってくださいね>私<遅くまでありがとうございました。気をつけて帰ります>
本当にたわいもない会話でしたが私はこの瞬間思いました。<あー、残っていてよかったー>と。
この瞬間私はモヤモヤイライラという気持ちは全く無くなっていました。
そして今思うのは<誰かの為にしていることは、その時モヤモヤしたとしても良い>ということです。
前回も話しましたが、この世は無常であり、全ては変化しています。ましてや人の心は一番変化して行くものであり、少し前まで穏やかな心でもちょっとしたことでイライラしたり、逆も然りでモヤモヤしていても必ずそのモヤモヤには終わりが来ます。
しかし人の為に行った行<布施>した功徳は必ず自分の徳として残ります。
そう考えれば、人の為に尽くした時、時にはモヤモヤしたり、損した気持ちになることがあります。
しかしそのような感情は一瞬で、布施した功徳は着実に自分の徳として積まれていくのです。
今日の私の一件も、誰かが残らないといけない状況で自分が残ることで、他の人が早く帰れたし、その人たちから感謝されることで、自分自身のありがたい気持ちもそうですし、今後の仕事する上での関係にも良好な関係を築く上でプラスになったと思います。
誰かの為に自分が行動する時は時には損した気持ちを感じることや、モヤモヤする時があるかもしれません。しかしその気持ちは一瞬で、是非皆さんにはそのことに捉われず、幸せに生きる為に一番大事な布施の実践をしてもらいたいと思います。